パソコン導入の歴史その1

SORD M5

最初にパソコンを購入したのは、このSORD M5です。お小遣いを貯めて発売とともに購入したと、記憶しているので1982年(昭和57年)位でしょうか?(定価 49,800円)

当時、ゲーム機といえば喫茶店とかにあった机型のゲーム機やゲームセンターの縦型のものなどで家庭用のファミコンみたいなものもありませんでした。

ファミコンもSORD M5を購入後、1年後くらいに出てきますが、まだゲーム自体は家庭で楽しむものではありませんでした。

SORD M5はファミコンのようにカードリッジがついていてディグダグなどのゲームもでき販売もされていました。当然、Z80コンピュータとしてプログラムも組むことができました。

よく、BASICマガジンという勇士が作ったゲームプログラムなども載っている雑誌があり、何十行ものプログラムをBASICマガジンを見ながら入力して遊びました。

今、思えばここが、パソコン生活のスタートでした。!!

さてそのSORD M5が、どんなパソコンだったのか?紹介します。


少ないお小遣いを握りしめパーフレットをGETし舐めるように見て決めました。

夢 かなえてあげる。」このフレーズにやられました。


SORD M5はホビー向けに開発された、しゃれたデザインのコンパクトなマシンです。おもちゃメーカーのタカラとタイアップしナムコなどのソフトメーカーからもソフトが供給されるなどパソコンとしての枠を超えた展開を目指しましたが後発のMSXさらにはFamilyComputer?の登場によりしだいに影の薄い存在になっていきました。結果的には時代に翻弄されたM5ですが、M5のコンセプトはいまのマシンにも受け継がれているような気がします。

M5の基本設計は後発のMSXと互換性はありませんがほぼ同一です。
M5のデビューは1982年10月なのでMSXの8ヶ月前です。一説には、ソフトバンクの孫氏がSORDに企画を持ち込み、そのコンセプトをMSX陣営(アスキーの西氏とMicrosoft、家電各社)が利用したとも言われています。(その逆という説もあります)
真実は当時業界にいた方でないと分からないと思いますが...
当時のM5関連の書籍から面白い一文を見つけました。

M5の回路は素直だ。普通、ゲームマシンは真似されないようにわざとピン配列を変えたりメモリアドレスを入れ替えたりして複雑にしているが、M5は真似されたらそれでも良い、という気持ちできれいに並べてある。一人でも多くの人が使いやすいコンピュータを、というのがソードの思想だからだ。
「M5インターフェース実戦テクニック」誠文堂新光社 「M5こぼれ話」より参照

回路がシンプルなのはコスト面も考慮してのことだと思いますが、最後の部分はソード設立時から受け継がれた思想です。これが全てを物語っているような気がするのですが...

デザインは当時のものとしては斬新でカッコよすぎます。


パソコンの上に乗っかている箱、喉から手がでるほど欲しかった・・・流石にお金がなかったので上写真の拡張ボックスは買えませんでした。今なら速攻で買ってるのに・・・

ハードウェアをみると、今でこそCPUが3GHzとかですがM5はCPU Z80(3.58MHz)と当時のスタンダードです。メモリーはRAM 4KByte / ROM 8KByte / VRAM 16KByteと当時のレベルでも貧弱ですが低価格(49,800円)とマシンの性格を考えれば仕方ないところです。
8KByteのROMはモニタ機能(DOS/V機のBIOSに該当)のみでBASICは外部カートリッジで供給されます。

RAMの拡張用に拡張メモリ・カートリッジが存在しましたがM5のスロットは一つしか存在しないので、メモリーを拡張するためには拡張ボックスEB-5(左写真)を購入する必要がありました。
BASICのカートリッジは標準で付属している基本機能のBASIC-I、音や絵の機能を重視してゲーム開発に便利なBASIC-G、計算機能を重視したBASIC-Fと3種類存在しました。(BASICカートリッジを使うことでRAMも4KByte拡張されます)
さらにFALC(簡易言語)カートリッジも用意されていて事務処理も簡単に出来るように考えられていました。(大雑把にいえば、EXELなどの表計算ソフトの原形)

拡張ボックスEB-5を使用することで3スロットに増設されます。各スロットに BASIC-G、拡張メモリ・カートリッジEM-5(32KB)、フロッピーディスク装置FD-5(3インチ FDドライブ 両面320KB)を装備すればフルスペックマシンになります。

M5の表示能力は最高で解像度256*192ドット16色とホビー向けとしては十分な性能です、さらに実装されたビデオコントローラ(TMS9918A)はゲームプログラムにとって重要なスプライトなどの強力な機能を備えていました。(TMS9918AはM5以降の多くのマシンでも採用されています)

M5のVRAMはCPUのメモリ空間には存在せず、ビデオコントローラに直結されています、さらにCPUではなくVDP(ビデオコントローラ)が描画処理を行なうことによって、全体のパフォーマンスアップに繋がっています。

サウンド用のLSIはM5とMSXでは異なっています。これは、MSXの開発にYAMAHAが関わっていたためとも言われていますがMSXにはAY-3-8910A(MicroChip?)か互換品のYM2149(YAMAHA)のLSIが使用されています。


外観の特徴としては渋いグレー基調の本体とスロット周辺のイエローのアクセントが絶妙で素晴らしいデザインです、重量は800gと本当にコンパクトで軽いマシンです(ただしA/Cアダプタが恐ろしく大きくて重い)。さらに良く見るとキートップの形がさり気なく5角形になってます。

5角形のキートップはM5をデザインしたデザイナーの強い意向があって実現したものだそうです。妥協のないデザインもM5の魅力のひとつですね。

M5を作ったSORD社は、日本のAppleと呼ばれれるほどベンチャー企業として注目されていた会社でした。場合によっては現在のMicrosoftのライバルになっていた可能性もあった程です。

SORDは1970年3月に椎名蕘慶さんをはじめとする東北大学 工学部のOB数名により設立されます、目標は当時高額であったコンピュータを低価格にして誰でも電卓のように簡単に使えるようにすることでした。
Microsoftの設立が1975年4月4日(法人化1981年)、Appleの設立が1976年ですからいかにSORDが先進的だったか分かります。

SORDの功績は現在でもEXEL等の表計算ソフトの中に身近に存在しています、表計算の基本ソフトの特許はSORD社が持っていたからです。
(残念ながらSORD社の事業は東芝に売却され現在SORD社は存在しません)

National JR-100

JR-100の先生役、パソコン博士

当時、友人が持っていた消しゴムキーボードのJR-100です。

明るいNationalが作ってました。

消しゴムキーボードとは、消しゴムの代わりになるわけではありません。当時のパソコンのキーボードは今も同じですが、プラスティック製でしたが、このJR-100はキーボードがゴムで出来ていたためそう呼ばれていました。M5もそうですが・・・・

JR-100は旧国鉄(JR)が出したものではありません。JR-100は1981年11月に松下電器産業からBASIC学習機というコンセプトで登場したマシンです。

モノクロでグラフィック機能がないなど、性能面ではほかのマシンに劣っていましたが、54,800円と低価格だったため、当時の入門機としての役割は十分に果たしていたと思います。


外観はとてもすっきりしたデザインでサイズもコンパクトです。(VHSテープの1.5倍、CDケース2枚分くらい)
キーボードはゴム製で、消しゴムキーボードと呼ばれていました。

残念ながらキータッチはいいとは言えません、そのかわり良く使う命令文はキーボードに定義されていたので、慣れてしまえば入力は楽です。

グラフィック機能がなかったので、それを補うために多くのグラフィック文字が用意されていました、さらに32文字のグラフィック文字をユーザーが自由に定義することが可能だったのでグラフィック機能のあるパソコンに見劣りしない個性的な表現をすることができました。

実装されていたBASICは変数が26しかない、整数しか扱えないなど制限がありましたが、実行スピードは当時のマシンのなかでは高速の部類に入ります。
CPUはZ80ではなく、6800の上位互換(命令追加)であるMB8861H(2MHz、動作クロックは890kHz?)を採用していました。(アセンブラレベルでのプログラムも可能です)

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